明るい

明るければ明るいほどいい 誤字脱字が多い

あんまり学校に行かなかったときの話

 

夏休み明けの時期になると「学校なんか行きたくなかったら行かなくてもいいんだぞ!(ニュアンス)」みたいなツイートをちらほら見かけるなと思って考えていたんですが、私は結構学校をさぼりがちな方でした。

基本楽しかったから行ってたけど稀に訪れる無理だし…みたいな気持ちのときは結構休んでたし遅刻も早退もバリバリした。

今回は休んでいたときのことにフォーカスして話します。

 

 

湿度が高いのが本当に苦手で無限に汗をかいてしまうのがコンプレックスで更に気持ち悪くなってしまうので梅雨の時期は「なんか全然いなくない?」って友達に言われまくったし単位制でもないのに「あと2回休んだらやばいよ」と数Ⅱの先生に言われるほどさぼりがちでした。

数Ⅱ、おじいちゃん先生だから室温管理ガバガバだし後ろの席が当時好きな男の子だったのでもう逃げるしかなかった…

 

部活のパワハラコーチに悩まされていたときも週2〜3くらいで保健室に通ってたし席替えで一番前の席で周りのメンバーも最悪逃げ場なしみたいなときはめちゃくちゃ早退しまくって真っ昼間のきらきら輝く海を見ながら(あと1か月もこれかよ…)と思いながら帰った。これは今思えばこれはもうちょっと我慢してもよかったんじゃない?みたいな気もするけど。

ていうか学生の頃の1か月と今の1か月って体感速度全然違くないですか?今の1か月とかまじで2秒で過ぎる。

 

大学受験の時期も美大受験で現役生はひたすら描く枚数を重ねるしかなかったので高3の冬休み前くらいから高校からは姿を消してたな。

卒業式の前々日まで試験を受けていたので本当に高校3年生三学期の記憶がない。

 

 

中学生の頃はといえば、中一のときは半年くらい不登校をやっていました。不登校になった経緯は省きますが不登校を脱することができた理由は待っていてくれた友、支えてくれた両親、そして数少ない登校した日の中で唐突に落ちた恋でした。(ここでGReeeeNFUNKY MONKEY BABYSが流れる)(当時全盛期)

というのも本当で大きな理由なんですが、一番の理由としては東日本大震災でした。両親のいない家にひとりでいるのが怖かったから学校に行った。ちょろい。

 

ここで私の不登校にまつわるちょっと面白い話をふたつします。

ひとつめは、うちの母は割とスピリチュアルな話題が好きなんですが(ヤバくはないです)、当時母のスピリチュアルな知人に母が私のクラスの連絡網を見せたところ、名前と家の電話番号しか書いてないのにこの子とこの子はきっとあなたのお子さんと仲良くなるよ、と言われたそうです。その当時は特にどちらともそんなに仲良くなかったのですが、なんと内一人とはその後きっかけがあってグングン仲良くなり今でも縁が続いていてお互いに一番と言い合えるほどの仲になりました。もう出会って10年くらいになります。すごくないですか?

もうひとつは、その友人ともうひとり3年間一緒に登校していた家が近所の友達とは3年間ずっとクラスが一緒でした。たぶん先生たちが私に気をつかって細工してくれたんだろうなあ。これはスピリチュアルではなく大人の力です。ラッキーって感じでした。

 

大学生になって(単位ヤベ〜)みたいな日々送ってたけど、振り返ってみるとなんだかんだで学生時代ずっとギリギリでいつも生きていたっぽい(ah〜)

 

 

これでおしまいです。特にオチはありません。ただ中高生時代の割とさぼりがちだった自分を振り返ってみました。

でもこれは私が当人だから書けることで、友達から見た私は恋に部活に大忙しな普通の中学生、高校生でした。みんな本人にしかわからないし覚えてもないし気付きもしないようなことを抱えてるんですよね。

そういう話ってなかなか人にできないから、こうやってブログで表に出せるとなんかいいですね。

 

特に面白みのない拙い文章でしたがお付き合い頂きありがとうございました。